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人は誰もが言い訳の天才

もし自分に何かの才能があるとしたら、それは言い訳をする才能ではないかと思う時がある。何をするにも面倒臭いことをしようとする時は、必ずと言っていいほど何か邪魔な力が働いて、やらないほうがいいんじゃないかとか、もういいんじゃないかとか、〜のせいでできなくなる、とか、そういう考えが働いてしまう。塾で生徒に教えていると、まったく同じことがほとんどの生徒に起きるようなので、僕は自分にもそういうところがあると大分前から気づくことができた。出来るだけそういう考えが浮かんだ時は、「またか」と考えるようにして、「とりあえずやるか」という気持ちを持つようにしている。生徒にも、極力オブラートに包んで、言い訳やめてとにかくやろうぜ、という話はよくするかもw 自分が学生の時のことはまったく棚にあげているが(笑)。でも、自分が学生の時に自分みたいな先生がいたら、きっともっと一生懸命勉強したはず(と他人のせいにする)w

SATで満点を取るために勉強していた時も、色々と用意して次の日の朝にせっせとカフェにいってさあやろうと思った時に、「あ、〜さんに連絡するの忘れた」とか、「〜さんからメールが入ってる、返信しなくちゃ」とか、「〜を買い忘れた」とか、ひどい場合なんか、「今日は〜が売ってない。別のカフェに行こうかな」とか、まあ色々な考えが浮かぶ。人間の防衛本能なのだろうか?まったく論理的でもないことを思いついてはそれに従えと頭のデビルが囁く。

なので、しばらくしたら、朝は電話もメールも音を切って一切見ないようにして、確実に空いているカフェや塾で勉強するようにした。新形式に変わって、どことなく簡単になったと感じるSATに魅力を感じなくなりしばらく遠ざかっているが、またそろそろ満点を取るために勉強して日本へ行って受けることになるかもしれない(成人は自国でないと受けられないので)。惜しいところまでいって満足してしまっている自分がいることに気づいてしまったので、また始めることにした。

ただ、最近はもっぱら2年ほど前から続けているブラジリアン柔術の習い事に朝〜昼はかなりの時間を割いているので、昔のような勉強法ではないかもしれないが、それも言い訳にならないように気をつけなければと思う。ブラジリン柔術にしても、ありがたいことに僕が通う道場は朝クラスというのがあって、会社勤めの人も仕事前に練習できるという素晴らしい環境なので、朝やって勉強、という流れも可能なのだ。朝クラスが面倒臭いという時もあるが、今のところ風邪を引いたり怪我をして医者に止められていない限り週末以外は毎日通えている。「前の晩にさんざん飲み明かしてしまったせいで・・・」「筋トレの筋肉痛で体がパンパンだからな〜」「今日は先生が休みだし・・・」「もういい歳してそんなにガツガツやらんでも。。。」といったデビルもよく出てくる。とりあえず昔の自分だったら素直にデビルに騙されていたが、最近はそれは滅多にない(と思うw)。実際、ブラジリアン柔術なんて言い訳し放題になってもおかしくない競技だ。体が小さい自分としては、スパーで上手くいかない時などは体重を言い訳にしたくなるが、そんなダサイことはできんと思い、大会でも出来るだけ体重無差別で戦おうというふうにしている。こうでもしないと、自分の言い訳を真に受けてたら自分が如何に今ごろ駄目人間になっているか、よ〜く分かるからだ。デビルくん、言うこと聞かなくてごめんよ(でもたまに聞いてるでしょ(笑))。

言い訳のたちの悪いところは、自分ではその時に言い訳だと思っていないところだ。周りの人間も、勝手にそう思ってくれる節もある。例えばさっきの話だと、ブラジリアン柔術の無差別で戦う場合などは、「軽いやつは負けてもしょうがない」と言われてもしょうがない。周りもそう思う節がある。最初は自分もそう思っていた。世界レベルになると、無差別で軽量級が重量級に勝つことは非常に珍しいからだ。しかし今は、確かに体重による優位性はあるが、それは熟練度が近い場合だと考えている。ひょろひょろの人がゴツい人をバッタバッタ極めていくところを実際によく見ているし、経験者と初心者だと、初心者が巨人のマッチョに何もさせずに関節技を極めまくったりするので、けっきょくはしかりとした実力による差、努力と気持ちの差、などの違いということで、素直に自分の実力不足だと認めるべきと思うようにした。自分はまだ、あーだこーだ言うレベルではない、と。

実際、前のマニラの大会では無差別がなく、減量成功で体重を落として下の階級にいったので、自分と同じぐらいか下手すりゃ自分より小さい人たちと戦うことになり、内心勝てるだろうというつもり(この時点で、考えがよろしくない!(笑))でフィリピンへ。体力的にも体重が落ちた以外は保たれていて、下手すりゃ前より体が軽くなって素早くなったぐらいだ。ところが!決勝の相手は強く、単純に自分のレベルが追いついてなかった。上の階級で勝ったりもしていたが、だからといって下にいったから勝てるわけではないということだ。自分は年齢的にはマスターで、対戦相手がいなくアダルトのトーナメントで戦った、というのもあるかもしれないが、それも道場ではさんざん20代に人たちと戦っているわけで、そこも言い訳にはならない。まだまだ自分は今の立ち位置からやり直さなきゃいけないことがあると思わされる大会だった。

なんだかんだで、色々と自分を奮起してやっていけるのは、生徒たちのおかげだと思う。自分が責任を持つ立場なので、生徒にみっともないところを見せられないというのが、大きな原動力になっていると思う。そして、自分を奮起して頑張れる生徒には絶対にチャンスが回ってくると思っているので、それに気づいて欲しいというのもある。生徒にしても、勉強が進まない訳を聞くと、それなりに筋が通っていることを言っているように聞こえる。実際に聞いていて、これは確かに無理があるだろう、というような話もある。言い訳というより、説明だ。けっきょくのところ、言い訳というのは感覚的なもので、言い訳をしていると判断される判断基準が明確でない以上、個々の心の中にある自分のプライドを守ったり他人や自分が抱く理想の自己イメージへの防衛対策としての行動と、言う人聞く人の中に存在する、特定の物事に対する「できるはずだ」「できるわけがない」の感覚とのバランスが、ある特定の言い分を言い訳と判断するかどうか決定するのでは考える。厳しい人は厳しく見るだろうし、妙に理解ばかりある人は理解を示すだろうということだ。

同じ状況でも進められる生徒がいたり、そこで辞めてしまう生徒もいたりする。それを素質だと言ってしまえばそのままだが、意識次第で変わりようのあることであるのではと考えるので、気づきというのが大事なのかなと思う。気持ちは分かるし、否定もしないし、第一に言い訳というのはそもそも自分も言い訳だと思っていないので素直に他の人の意見を聞く事もできないだろうし、そこまで自分にストイックになる必要もないし、それを押し付けるつもりもないが、じゃあ出来ないなら、少しできるように一つでも工夫してみよう、という気持ちがでれば、それで十分、人との差を生むことができて、前へ進むことができるのではと考える。

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