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「一万時間ルール」とは?

私がおよそ尊敬する数少ない人物の中に(いや、数えたら意外と多いかもしれないけど優先順位で言えば上位に来る)、マルコム・グラッドウェル、という人物がいる。彼はベストセラー作家で、主に解説書などを書いているのだが、彼のすごいところは「気づきの天才」であるところだと思う。

「気づきの天才」というとピンと来ないかもしれないが、教育にしろ人生にしろ、気づきはとても大事な役割を果たすものだと確信している。「ああ、これが間違っていたのか。」「待てよ?こうすれば上手くいくんじゃないのか。」と世の中には様々な気づきが存在する。自分の心の底の願望に気づいて、普段の何十倍ものエネルギーで行動することもあるだろうし、新しい気づきによって新しく生まれ変わることだった多々あるだろう。

グラッドウェルは、「観察から一定の法則を導く天才」だと思う。もちろん、気づいた後だと、タネがバレたマジックのように大したことではないと思うかもしれないし、彼の気づきはただの「屁理屈」だと思う人もいるかもしれないが、少なくとも思ってもみなかった発想で語られる彼の考えは賞賛に値すると考えている。

と、ここまで言って、そろそろ本題に入らないと何の話が分からなくなりそうなので、早々に移ることにする。

うちの塾の生徒ならば既に聞いたか、本を読まされて知っているという子もいるかもしれないが、今日はグラッドウェルの本「Outliers」から「一万時間ルール」の一項を紹介したい。実は、先ほど散々彼の気づきについて褒めたところであるが、「一万時間ルール」自体は彼のオリジナルではない。神経学者が昔唱えた学説である。しかし、彼がこのルールの正しさに気づいて世に広め有名にしたことは確かなことである。

「一万時間ルール」とは、要は「どんな天才と言われていたとしても、一流のレベルの人物は一万時間以上をその分野で一流になるために費やしている」という話だ。そういう意味で、彼は「生まれつきの才能」と呼ばれるものを否定する。彼は、ビルゲイツがマイクロソフトを作る前にすでに一万時間以上をコンピュータープログラム作成に費やしていたこと(ビルゲイツは、一度も画面を確認せずにコードから綺麗なホームページを作成できるほどの実力で”天才”と言われていた)、モーツァルトの初期の作品が他作品の寄せ集めと父のヘルプによるものであったとした上で、モーツァルトのオリジナルでしかも最高傑作は、ちょうど彼が一万時間以上作曲を始めてからだったこと、インターネットの創始者ビル・ジョイは、青年期にどっぷりとコンピューターの世界に漬かってシステム開発を行っていたこと、ビートルズはライブを一万時間以上行っていたこと、などを挙げて一万時間ルールを論証しようとする。さらに彼は、音楽学校のピアニストの練習時間を上げて、プロになる生徒は例外なくプロになる前に一万時間以上の時間を真剣にピアノの練習に費やしたこと、アマで終わる生徒は4000時間以下の練習量であったこと、セミプロのような場合は7000-8000時間程度の練習量というように、具体的な数字で一万時間ルールに迫る。

こうくると、要は一万時間何かをやればいいのか、という話になるが、この一万時間は、もちろん「全て真剣に行うこと」を前提とし、「真剣に行うのでその過程の試行錯誤でやり方の効率もあがっていく」ことが前提となっている。なので、行うことの真剣度で度合いが変わるのであれば、何がその行動を行った時間としてカウントされるのかを把握することも一万時間ルールを達成する上で大事なことである。一流の寿司職人になるために、握力を一万時間鍛えてもしょうがない。あるいは、何も考えずにただ握っていて、形が悪くても握り続けたら逆に悪い癖がついてしまう。

上記に加えて、グラッドウェルは「機会」の大事さを語っている。ビルゲイツやビートルズ、その他の「天才」たちは、例外なくなかなかお目にかかれない機会に恵まれた。ビルゲイツは、成績が悪いので送り込まれた全寮制の学校が、たまたま当時としては非常に珍しいコンピューターを置く学校になった上、コンピューターを子供が使うのは良い事だとされたので、日中夜夢中になってコンピューターをいじることができた。ビートルズは、たまたまライブのオファーをもらった会社(?)がスパルタで、容赦なく毎晩それこそ年越しライブかというぐらいのライブを要求してくるので、凄まじい時間のライブを行うことができたということと、常に新曲を用意しないといけないというプレッシャーにより、とんでもなく多くの新曲を手がけたことが成功につながったという。

グラッドウェルが唯一「本人の資質」として認めるものが、「やり始めたことに夢中になる性格」、である。機会があっても時間を費やすことができたとしても、飽きっぽい性格だったりそもそも情熱が薄い性格であったらなかなか一万時間を達成することは出来ないだろう、ということなようだ。

ちなみに、少し別の話も紹介しておきたい。あるサイトで昔見たのであるが、東大に入る学生は大体中高合わせて6000時間ぐらい勉強している、という話だ。これは学校で勉強した時間は入らないのだろうが、恐らく学校で勉強した分を入れると一万時間以上にはなるのであろう(サイトの情報を信頼するのであれば、である)。ただ、勉強というものは(もちろん方法論などはあるとは思うが)、よほど範囲が決められて進む方向性がはっきりしていない限り少し分野として絞りきれない、少々無形な性質ももっていると思うので、アプローチの仕方が実に多く、単純に~時間勉強すれば・・・にはならないと考える。「勉強に一流」というのも分かる気もするが、個人的には「頭を良くする」行為は何も机に向かった勉強に限ったわけではないので(想像力の発達、それによる暗記力の発達、などは机に向かって勉強した時間ではなく、普段の思考の習慣によるものが大きいと思われる。)、何を勉強とするのか、は気をつけて判断する必要がある。

実際、机に向かって勉強した時間順に大学合格の各は決まらないと考える。自分に合った方法を正しく身につけてその方法を実践して十分な知識を身につけるための時間から逆算して結果的に学校での勉強時間を除く一日平均学習時間が6000時間だった、というだけの話だったのではないだろうか。優秀な先生に恵まれ、さらに学力が発達していれば、授業だけでもこと足りてしまう理屈もあるが(授業内容を授業時間中に頭で深く消化する習慣がついていれば、の話だが)、ある程度は頭の中で反復を繰り返さないと人間はそうそう知識を定着させることができるわけではないので、けっきょくある程度は勉強をし続けなくてはいけないであろう。グラッドウェル流にいうならば、確かに「時間をごまかすことは出来ない」のかもしれない。まあぁ、朝起きてから夜寝る前の全ての時間を勉強に費やすようなことをするのであれば、これはもう勉強ができるようになる、とかではなく、精神の世界で何かに覚醒することがありそうで、そういう意味では素晴らしい経験にもなるでしょうが・・・笑

勉強という方法論が多岐に存在するものに関して言えば、同じレベルに到達するのにアプローチの仕方が変わる、ということはありえると考える。TOEFLに関するアプローチに関してみても、TOEFLはコミュニケーション能力が重視されるので、普段から人の話をよく聞き内容を消化した上で的確に自分の意見を述べることができる能力を磨いたり、読んだ内容から英語表現を盗み自分で使うようにする習慣をつけることなどが重要になる。読解に関しても、ストレスを溜めながら延々と「いつになったらこの文章は終わるんだ」と頭が半分三時の方向へ行っていては内容も入ってこないので、段落ごとに区切って読んで内容を整理し次に向かう習慣をつけたり、調べながら新しい知識を詰め込んでいくことの喜びを感じながら(点数を出すこともゲームみたいで楽しいかもしれないが、新しいことをドンドン使えるようになることに喜びを見出す)自分が覚えた表現を使いこなす姿を想像するなど、机に向かう向かわない関係のないようなアプローチが意外と点数に結びついたりもする。飽きないように工夫することも勉強の能率を上げる。このような工夫を施す時間も一万時間に入れられるであろう。

少し趣旨から外れてしまったかもしれないが、結論としては、一万時間ルールというのは過去の事例から判断するに、確かに信憑性の高いルールであると考える。ただ、勉強に当てはめる場合、アプローチを慎重に行わないと、寿司職人が握力を鍛えるだけの自体になりかねない。英語学習に関していえば、単語さえ覚えればなんでもいけると勘違いするのと同じことである。読解だけを例にとっても、日本語と比べてあれだけ語順が変わる上に、表現の仕方まで日本人の発想を凌駕するので、いわゆるパズルを解くような要素のほうが理解を妨げる場合が多い。けっきょく、慣れて英語思考をアートマチックにするのと想像力を養うこと、そして新情報の解釈のために混沌とする頭を整理する能力が、語彙を増やすついでに不可欠なのである。まあ、これらも最初に言ったように、「真剣に行うのでその過程の試行錯誤でやり方の効率もあがっていく」ことが前提となっているので、余計なお世話にあのかもしれないが。

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